社会での初めての恩師が先日お亡くなりになりました。

今朝3時に山陰中央の新聞のお悔やみランを見ると社会生活の一番の恩師の名前を見てびっくりこの後仮眠はできない状態でした、体調は悪い事は分ったいましたがそこまで悪いと思っていなかったので松江に出かけても立ち寄る事は有りませんでしたがやはり人生先はわからない物です。

蓮如上人は「白骨の御文章」で「われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず」(わたしが先か、人が先か、命の終わりを迎えるのは今日とも知れず、明日とも知れない)と、私の命のあり方を示されています。確かにテレビや新聞を見ていても、老若男女を問わず、亡くなる方の報道は後を絶ちません。思えば私の命も死の縁にあえば、むなしく果てるだけです。生きていることは当たり前のことではありません。足下をみれば、いつ死ぬのかわからない無常の世界を生きているのです。

私は死んだらどうなるのでしょう。どうなるのかわからなければ不安でたまりません。だからといって、死ぬことを考えず不安を忘れようとしても、本当の解決にはなりません。だからこそ蓮如上人は「たれの人もはやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて」(どなたも早く浄土往生の一大事に真剣に心を向けて)と、死の不安を解決できる浄土往生に一刻も早く心を向けなさいとお示しくださっておられます。

「南無阿弥陀仏」というおはたらきは、私が安心して死んで往ける世界を調えてくださるおはたらきです。そのおはたらきに出遇(あ)えば、私の命は安心の中に包まれます。安心できる人生を歩むことは、人生の有り難さに気付かせてもらうことともなるでしょう

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